お知らせ

しげあんちゃん ① 

2019年1月21日

平成7年3月に宮崎に戻り、父の地域医療をそのまま引き継ぐことになりました。長崎の救急病院での研修、勤務医の時は、ほとんどが病院内の仕事で患者さんの生活の場に接することはほとんどありませんでした。宮崎に帰ってからは、午前中外来、午後から往診をして地域のお年寄りとゆっくり話をして穏やかに過ごすという今までにない心地良い日々が始まりました。それから数ヶ月経った頃でした。

「障害のある息子が熱を出しているので往診してもらえんやろか(もらえないだろうか)?」と、高齢の女性が日高医院を訪ねて来ました。まだしっかりした小柄のおばあちゃんでした。「はい、いいですよ。名前、住所と電話番号を教えて下さい」と返事して午後から伺いました。

高齢の男性がベッドに横たわっていました。「こんにちは。どんなありますか(どんな症状ですか)?」と尋ねると、高齢の母親が「息子は耳が聞こえん(ない)で話もできんとです(ないのです)よ、小さい頃に高い熱を出した後から頭がおかしくなって喋らんなったとですよ(喋らなくなったのですよ)」と説明してくれました。

本当に聞こえないのだろうかと思い、胸の聴診を終えた後に自分の聴診器を息子さんの両耳に着けさせて胸に当てる部分のベルを手の平で軽く叩いてみました。すると、びっくりして目をパッチリ開けるではないですか。

「お母さん、息子さんは補聴器を使えば聞えますよ! 補聴器を両耳に着けて発声練習をすれば、話せるようになるかも知れませんよ」と説明しました。

高齢の母親は、信じられない様子で「本当に聞こゆっと(聞こえるの)ですか、補聴器を使えば聞こゆっと(聞こえるの)ですか、これまで60年間そんげな(そのような)検査を受けたこともなかったもんな。もう頭がダメになって何しても分からんとやろうと思っとったとですよ(思っていたのですよ)」と少し動揺しながら言われました。

聴診器を息子さんの両耳に着けたまま聴診器のベルをマイク代わりにして、大きい声で「アー、アー」と言ってみました。少し聞こえるのか、目をキョロキョロしながら表情が少し変わりました。今度は口を大きく開けて息を吐く練習をしてみました。どうしてよいのか分からない様子でしたが、少しずつ息を吐く動作が始まり、何度かしている内にため息のような小さな声が聞かれました。

「お母さん、補聴器を着けて練習を続ければ声が出るようになりますよ」と言いお母さんを見ると、悔し涙を流しながら「私がバカやった、ちゃんと耳の検査をさせておけば今頃普通にしゃべっとったかもしれん、何であと10年でも早く先生と出会わんかったとやろか(出会わなかったのだろうか)、早よ(早く)気づけば・・」と息子さんの前で立ったまま泣いておられました。

「あ、のどからの熱でしたね。薬を出しておきますから・・」と、本来の目的を思い出して帰りました。

2歳まではおじいちゃんと喋っていましたが、3歳になる年に40度を超える高熱を出しそれから喋らなくなりました。そして60年が過ぎ、63歳になった茂雄さん(しげあんちゃん)と出会いました。

これがその後「お、か、あ、さ、ん」と発声することなる、しげあんちゃんとの出会いでした。

つづく