夢を奪うことなく進路指導して頂いた先生に感謝しています。
中学2年から機械体操を始め、道具の揃っている宮崎南高校での体操を目的に入学しました。
入学後、部員数人と共にほぼ毎日体操の練習を始めました。夢はオリンピック出場でした。振り返ると全く現実性のない夢でしたが、高校の3年間をその夢に向かってまっしぐらに進みました。
結果はいつも表彰台に上る仲間に拍手をしている自分がいるだけでした。オリンピックへの夢を諦めきれずにいると、体育の先生は「日体大に推薦するので行け」と勧めます。ところが、高校3年12月に母親から「このままだと跡継ぎがいなくて日高医院はお父さんの代で終わるよ、どうする?・・」と言われました。
「どうしよう、勉強はほとんどしてないし・・」と思う毎日でした。もうすぐ冬休みになる夕方、職員室で数学の大司(たいし)先生に相談しました。これまで先生に話すことがなかった自分の夢を話し、母親から言われたこと、父の仕事の事、夢を諦めきれないことを長々と話しました。大司先生は黙って聞いておられました。
そして最後に「医学部に行け!そして入学したら、直ぐに休学して機械体操を頑張れ。そしてオリンピックに行け。夢が叶ったら医学部に復学して医者になれ!」と言われました。あー、そんな方法があるんだと思い、「ありがとうございます、その方向で頑張ります!」とすっきりした思いで頭を下げ職員室を出ました。
階段で英語の先生が「オイ日高、どこに行くか決まったか?」と声を掛けて来られました。「ハイ、決まりました、医学部に行きます!」と答えると、「ハー・・・」と口を開けたまま行かれました。
それから、「現実という先生」と4年間つき合うことになりました。 日高四郎が日高「四浪」になりました。その間に夢はゆっくりと色あせ、大人としての現実的な生き方になりました。
そして「今」があります。
令和元年8月10日 宮崎南高校の同窓会がありました。
1回生から55回生までの同窓会です。父の跡を継いだことでまたいろんな出会いがありました。
時間はかかりましたが、今の道に進んで良かったと思っております。
もうすぐ65歳になる年になってあの時の進路指導が自分の人生を決めたことを知りました。
大司先生、あの時の私の夢を壊すことなく生きる道を指し示して頂き本当に有難うございました。
また来年も同窓会に出席しようと思います。