自分の役割

五人兄弟の末っ子として昭和29年に生まれた。幼少時代は、兄達が母親から怒られる姿を見ながら賢く過ごした。父は昭和33年から開業し日中は外来、午後からは夜遅くまで往診をしていた。優しかった父の往診にいつも着いて回り、田舎の景色や農家の牛や豚、アヒルなどを見ながら過ごした。楽しかった。

しかし、日曜日に家族みんなで弁当や水筒を用意して出掛けようとすると、いつも患者さんが尋ねて来た。父は嫌な顔をせずにいつものように対応する。

その間、父の仕事が終わったらすぐに出発できるように車の後部座席でじっと待っていた。そのうち弁当を開き少しずつつまみ食いが始まる。兄弟同士の言い争いが始まる。母が家に戻ろうと言う。自宅で弁当を開き昼ご飯になった。食べ終わった頃、父が「遅くなってごめん、今から行こうか」と日南海岸に向けて出発した。グーッと我慢しながら、こんなの嫌だと思いつつ過ごした。

兄達は、それぞれ自分の道へ進んだ。末っ子の自分は子供の頃から絶対に医者にはならないと思っていたが、運命なのか医者になっている。各科ローテーションの研修後、一時外科に在籍するが平成7年春、父の入院をきっかけに急遽父の在宅医療を引き継ぐことになった。ふと気付くと自分の家族に、父と同じようなことをしている。 「遅くなってごめん、今から行こうか」と言ったあの時の父の思いが少し分かったような気がする。

一人で頑張っているのではなく、家族や周囲の人々の力のお陰で頑張れるんですね。

あの時の自分は、じっと待つ役割でした。これからの自分の役割は、地域に安定した医療を提供すること、そして家族を守ること。

更に、医療の質の向上と継続性のための基盤を整える努力をすること、家族を含め職員を守ること、そして地域を守ること。

また大きなことを言ってしまった。 家族、職員、地域の人々に感謝、感謝です。これからも、よろしくお願いします。