「た行」の発音は、これまでの組み合わせではできないことが分かりました。「た」がどのように作られているのか自分の口の中で考えました。舌を上顎に押し当てて空気の流れを止め空気圧を高めた後、一気に開放する時に「あ」と発音すると「た」になると考えました。しかし、それをどのように茂雄さんに指導すればよいかが問題になりました。いろいろ考えた末、布のテープの端を口に含み舌と上顎でテープを挟み、テープを引っ張っても簡単に取れないくらい舌に力を入れる練習をしました。舌の力を抜くと同時に「あ」と発音すると「つた」になりました。同じように舌の力を抜くと同時に「い」「う」「え」「お」を発音すると「つち」「つつ」「つて」「つと」になりました。これにより「た行」の音がどうにかできました。舌と上顎で挟んだテープを引っ張る仕草が「た行」を発音する時の合図になりました。
次は「さ行」の発音に取り組むことになりました。これまで通り自分の口の中で考えました。口を少し開け、上と下の前歯の間に舌を軽く挟み込んで息を吐くと「すー」という音になります。この音に「あ」「い」「う」「え」「お」を重ねると「すあ」「すい」「すう」「すえ」「すお」になります。後はこれを何度も練習して「さ~」「し~」「す~」「せ~」「そ~」に近づけることになります。
しかし、茂雄さんの歯は、下の前歯が一本残っているだけでした。それもぐらぐらしています。これでは「さ行」の音は作れません。1本の前歯が抜けるのを待って上下の入れ歯を作ることを考えました。それまでの間はこれまで練習して来た50音を練習し、1文字単語、2文字単語を覚えることにしました。
「て」は「手」を口元から前に出す形で勢いよく「て~!」と発音しました。
「め」は右の人差し指で自分の目を指さしながら「め~!」と発音しました。
そのように楽しく練習しているうちに、いつの間にか「か」らしい音がでるようになりました。そこで「か」を忘れない様にと、「蚊」が「ブ~~」と飛んできて自分の腕にとまる真似をしてパン!と叩き、大きい声で「か~!」と発音しました。茂雄さんは笑いながら1回で「か」を覚えました。
そのようなことを家族と一緒にしていると、花火大会の話になり茂雄さんが花火の破裂する音を「ぶば~ん」と言葉で表現しました。自分の思いを自分の声で初めて表現した瞬間でした。