お知らせ

発足42年振りのハンディキャブ同窓会に参加しました。

2023年11月19日

坂の多い長崎で車イスの方々の外出問題を長年に渡って取り組んで来た人たちの物語でした。

70歳前後になったメンバーが頑張って集まり、残された資料や映像を元に発足から終了までの経過を振り返りました。

昭和55年長崎のわたぼうしコンサートで発足した愛の街づくり実行委員会で坂の多い長崎の交通サービスを行うことが話し合われました。

昭和56年1月愛の街づくり実行委員会が日本コミュニティ―センターから車イスごと乗れるミニハンディ-キャブ(軽ワゴン車)を借り、当時ボランティアをしていた私に「1ヶ月間自由に乗り回してくれ!」と言われました。脳性まひの交流キャンプで出会った同じ年の親友の内川尚之さんと長崎市内を自由に動き回る中からハンディ-キャブ運営の体制作りが始まりました。

その後、ミニハンディ-キャブを返した後もボランティアが集まり車を手に入れるための話し合いが続きました。

昭和56年12月ある自動車整備工場から中古の日産スカイラインを提供して頂きました。
その後運営資金作りのために、多くのボランティアの協力を得て廃品回収やバザーを行いました。

昭和57年7月23日スカイラインのボディ-に「ハンディ―キャブ運営委員会」の名前を書き脳性まひ交流キャンプに参加しました。しかし、その日の夕方からの長崎大水害でスカイラインが流れて行きました。脳性まひの会事務所にも濁流が押し寄せ、脳性まひの方々を抱えて大雨の中事務所の屋根に避難しました。隣の二階に私が跳び移り、皆で橋を作って屋根のある部屋に移動しました。長崎市内で299人亡くなられましたが、私たち全員無事でした。

数日後、歩道橋の下で見つかった「ハンディ-キャブ運営委員会」のスカイラインが全国放送で流れました。それをきっかけにテレビ取材が始まりました。当時の村上不二夫さんのアフタヌーンショーで大水害に遭った時の状況や活動内容を詳しく放送して頂きました。その結果高額の寄付が集まりリフト付きワゴン車が手に入りました。

その後私は卒業試験、国家試験、研修医となりハンディ-キャブ運営委員会から離れることになりました。

運営委員会は、内川尚之さんを中心に25年間運営を継続しました。その間昭和59年12月にNHKの我街のボランティアという番組に、昭和60年2月にKTNのこんにちは長崎という番組に紹介されています。発足20年目の平成5年9月25日には厚生大臣から表彰されています。

その後、介護タクシー等が当たりまえのように走り回るようになり発足25年目でハンディ-キャブ運営委員会は終了しました。

発足から42年が経ち、懐かしい画像と共にその後の経過を改めて詳しく知らされました。
いろんなことを乗り越え、長年継続することにより、社会は確実に進化したと実感しました。
長年協力して頂きましたボランティアの方々に深く感謝申し上げます。

親友の内川尚之さんは、脳性まひによる機能障害はありますが、障害者ではありません。
人の心を進化させる開拓者です。

内川尚之さんの前にある障害はいつも仲間の力で難なく乗り越えて来ました。これからも笑顔で乗り越えることでしょう。

これからも共に頑張りましょう。