今も劣等生

医学部の時は予備校の夢を、医者になってからは卒業試験の夢を何度も見て来た。最近やっと医者として活動している夢になった。しかし、今もなお自信がなくいろいろと指導を受けている夢だ。

最近はそれで良いと思っている。これが自分だと思うようになった。

五人兄弟の末っ子で、双子で生まれた。厳しい母親と優しい父親のもとで育った。

子供の頃は、双子の兄といつも一緒だった。思いも行動も何もかもが一緒だった。双子の兄との会話には、それほど多くの単語は要らなかった。人からいろいろ聞かれるとまず双子の兄が答える。そして質問が自分に回って来ると、「今の答えと同じです」と言うだけだった。自分で考える力がなかったのかと問われるとそうではなかった。親に怒られる兄達の姿を見ながら、どのように答えたら良いかを常に考えるようになっていた。

嘘は言いたくないが、どのように言えば上手く納まるか、母親が怒らなくなるかなど、頭の中はいつもぐるぐる回りそして真っ白になっていた。

母からいつも「四郎の話は、は~や~い~は~な~し~が~ね~・・・やもんね」と言われて来た。

当時の自分が、常に先を考えながら話していたのを思い出す。結果としてできない子だった。

どうして双子なんだろう。どうして医者の子供なんだろう。どうして農家の子供ではなかったんだろう。人間の仕組みはどうなっているんだろう。人はどうして死ぬんだろう。死んだらどうなるんだろう。空はどこまで広いんだろう。その先はどうなっているんだろう。 ・・・

いろんな疑問が常にあり、答えが見つからないまま中学高校を過ごした。考える科目は好きだったが、暗記中心の科目は苦手だった。成績は後ろから数えた方が早かった。とにかく試験が嫌いだった。しかし、嫌いな試験をずっと受けることになった。

中学高校は、器械体操が好きで一日中体操のことばかり考えて過ごした。
一時は日本体育大学に行く方向で考えていたが、高校3年12月、家業のこと、これまでの疑問、本当は何をしたいのかを考え進路を大きく変えた。職員室で数学の先生と遅くまで話し合い医者になることを決めた。当然直ぐに医学部に入れる訳がない。高校生活を一から始めることになった。予備校に4年間通い「四郎」という名前の通り、「四浪」して長崎大学医学部に入った。

四浪目の時、教育実習で来ていた高校の同級生に母校の階段でバッタリ出会ったことがある。母校の予備校は高校生と同じ制服だったので、制服を着た僕の姿を見て「四郎!まだ高校生だったのか」と言われた。「・・・うん」と答えた。 そして20年後、その時の同級生を外来で診察し懐かしくあの頃の話をしている。

自分は決して優等生ではない。今もなお劣等生だ。でも、世の中の多数派の中にいると思っている。いろんな能力があってもなかなか上手く行かない人々がほとんどだ。自然界の動植物もそれぞれ成長速度が違う。人々もそれぞれの能力と時計があり、速く結果を出す人、人生後半になって結果を出す人様々だ。

もたもたしたスタートだったが、その結果多くの人々の悩みや気持ちを受け入れ易くなった。

今はこれが自分に与えられた「道」なのだと思っている。