お知らせ

地域とともに生きる

2022年6月17日

もうすぐ68歳になろうとしている私が、残りの人生で医師としてこの地域でどれ程のことができるだろうかと常々考えています。

1995年4月、父が行って来た在宅医療を引継ぎ、午前中外来、午後から往診を始めました。その数年後「宮崎にホスピスを誘致しませんか」と声を掛けられたことがありました。

その時私としては反対ではありませんでしたが、患者さんの生きて来られた道のりや人間関係、環境を考えると、患者さんが慣れ親しんだ場所で最期まで過すことが良いのではないかと考えるようになりました。

しかし、本人の不安、苦痛、家族の介護負担を考えると、やはりホスピスでの緩和ケアが必要かなと考えました。

その後、多くの癌末期の患者さんや高齢の方々を在宅や施設で看取ることを経験して行く内に、「地域まるごとホスピス」にしたいという思いが強くなって来ました。

そして始めたのが、地域の藪払いです。

地主さんに許可をもらって、藪を払い、野焼きをして元の畑にしました。そしてコスモスの苗を植えました。

コスモスが満開になった時に、近所の百歳のおばあちゃんをおんぶしてコスモスの中で記念写真を撮りました。

その後、他の地主さんから「うちの畑を使って良いよ」と言われそこにもコスモスを植えました。

遠くに双石山が見える田んぼの中でコスモスが見事に咲くと、皆で「やすらぎの田園」と名付けた地域の公園を作りました。

3年前から空港近くの水路沿いの藪を払い、菜の花、マリーゴールド、コスモス、ひまわりを植えて、花道を作っています。

その近くの田んぼの藪もみんなで払い、子供たちも一緒に田植えや稲刈りをしました。振り返ると、多くの患者さんが花の中で家族と写真を撮り、田植えを見に来たり、ゴムボートで田植えに参加したりしていました。

今では、藪を払い花道になった水路沿いを近所の中学生や高校生が自転車で気持ち良く走り抜けて行きます。

施設の患者さんも車イスでやすらぎの田園に集まり気持ち良くお喋りしています。

末期の患者さんも家族と一緒に花を見に来られたりしています。

ひと時のやすらぎの場になっている様子を見るとこれからも頑張ろうと思います。