2025年7月5日に関する私の想い

これまで数多くの情報を見て来ました。

そして、東日本大震災や能登半島地震、私が70年間で初めて経験した宮崎の震度6弱の地震などから、巨大地震が近づいているのではないかと感じています。

2011年3月11日の東日本大震災の後から、いずれ南海トラフ巨大地震に伴う大津波が宮崎にも来るだろうと考え、皆で備蓄米作りをしたり、田んぼの中に交流の場(やすらぎの田園)を作ったり、休憩所の屋根にもらった太陽光パネル4枚を設置し大型トラックのバッテリー2個とつなぎ夜間照明を作ったり、1分で装着できる背負子を作ったりして来ました。

米作りに関しては、備蓄米作りに協力して頂いた農業者が高齢でお亡くなりになり現在中断しております。

その時(Xデイ)が近づいている今、自分に何ができるだろうかと考えています。

南海トラフ巨大地震の被害想定を見ると、死者32万人以上、東日本大震災の17倍以上と想定されています。

発災後の日本を考えると、超高齢化で寝たきりの両親や祖父母を助けようとする現役の家族を含めて被災し、助かったとしても冬であれば低体温、夏であれば熱中症、脱水、などで1週間以内に亡くなる方が多数発生し、第1次、第2次、第3次産業に携わる現役の人々が激減して日本の復興がかなり難しくなるのではないかと考えます。

国の被害想定では、1ヶ月経つと発災時に亡くなった人数を超える人々が亡くなる可能性があると言われています。これは地方と限らず大都市でも同様と考えられます。

以上から、高齢者をいかに素早く安全に高台に避難させるかが重要になって来ます。

高齢者が安全に避難することで現役世代の被災を少なくすることができると考えます。

私はこれまで背負子作りや介護用品の開発を行ってきました。1年前に寝袋型の布担架を試作し、昨年の年末には高齢者の階段上りを前後から支援できる介助ベルト(アガッドベルト仮名)を試作しました。全国同じように避難用具を開発している人々が多くいると思います。

今、これらの試作品や既にある介護用品を、多くの人々の協力や地方・国の行政の力をお借りして、日本の海岸線の人々の手元に早急にお届けできるように動くことが必要と考えます。

これまでの日本を形成して来た技術、知恵、文化、歴史、道徳、教育、家族、地域の人々の絆を残すことが、これからの新しい日本を再生すために絶対に必要と考えます。

たとえ津波が来て田んぼややすらぎの田園が流されることになろうとも、田んぼの草を払いやすらぎの田園に花を植え、地域の人々の交流の場を後世に残すために作業を継続しようと思います。そして、多くの知恵袋を大事に残そうと思います。