お知らせ

「頑張って」と言う愛情、「もう頑張らなくてもいいよ」と言う愛情

2012年8月27日

ピンピンコロリをほとんどの高齢者が求めている。しかし、今の医療はそう簡単にコロリと逝かせてくれない。脳出血、脳梗塞を起こしても脳外科での治療、リハビリにより杖歩行から車イスレベルまで回復することが多い。

中には、ほとんど麻痺を認めない人もいる。心筋梗塞になっても処置が早ければ、歩いて退院する人もいる。なかなかコロリとは逝かない。しかし、時間と共に徐々に寝たきりとなり、妻または夫、家族の介護負担が徐々に大きくなる。

「頑張って、頑張って」と言う介護が続く。食事が上手くできなくなると、鼻から管を入れたり、胃ろうを作ったりして栄養管理が始まる。そうなると、本人が望んだピンピンコロリとは程遠い状況になる。鼻からの管や胃ろうからの経管栄養を家族が選ぶ理由は様々である。

生きていて欲しい。
良く分からないので先生におまかせします。
また元気になるかもしれない。
本人が嫌がっているのは分かっているが、何もしないのは罪のように思える。
栄養を入れずに痩せて行くのを見るのはつらい。

結果として、誤嚥性肺炎、褥瘡、認知症の悪化を招き、その度に家族と相談しながら入院または施設または在宅で手の抑制をしながら点滴治療を行う。痰が多くなると、鼻から管を気管まで入れて吸引をする。その度にかなり苦しそうな顔をする。肺炎が改善するとまた経管栄養が始まる。これを繰り返しながら、数年または10年以上介護を続けているケースを良く見かける。そこには、本人の自己決定力はない。

医師として、これは誰のための医療なのだろうかといつも思う。しかし、家族には家族なりの思いがあり、他人には理解できない関係があるのでしょう。

症状の悪化を繰り返すにつれ、家族に本人の肉体的限界を説明し、家族の希望を確認して行く。少しずつ、「もう頑張らなくてもいいかな」と言う思いになって行く。そして「もう頑張らなくてもいいよ」と変わって行く。その時本人の顔から管が外れ、すっきりした顔になる。

その後、口腔ケアをして口を湿らしながら、看取りの原点に戻って行く。体は少しずつ乾き出すが、その分痰が少なくなり呼吸が穏かになる。鼻から管を入れて吸引する必要もなくなる。穏かに眠り苦しむ様子もなく静かに息を引取る。その時、家族は亡くなられた本人に向かって「これまで苦しい思いをさせて来てご免なさい」と言われることがある。

医師である自分が、自然死を十分説明できなかったことにも原因があるが、「頑張って」と言う思いも、「もう頑張らなくてもいいよ」と言う思いも、十分に悩んで決めた家族の愛情表現ではないかと思う。