お知らせ

しげあんちゃん②

2019年3月18日

茂雄さん(しげあんちゃん)は7人兄妹の長男として、昭和7年に生まれました。

祖父は孫の茂雄さんをひどく可愛がり、茂雄さんはいつもおじいちゃんと良く喋り楽しく過ごしていたようです。しかし当時の農家は貧しく、子供が熱を出したからといって直ぐに病院に連れて行く余裕はありませんでした。そのような中で40度を超える高熱を出した後から急におとなしくなり、茂雄さんは喋らなくなりました。体は元気でよく動いていたようです。

小学校に入る年齢になった時、母親のスナヲさんは自宅から遠い都城市の養護学校に連れて行き入学させました。しかし父親は戦争に行くことになり、学費の支払いが続かず半年程で自宅に連れて帰えることになったそうです。その後は農作業の手伝いをすることになります。そのため、学校での読み書きの学習を受けることがないまま過ごすことになりました。

青年になり力も強くなると、耳が聞こえず文字が読めなくても農業の仕事をしっかりこなせるようになりました。耕運機も見様見まねでしっかり操作していたようです。そんな時です。近くの宮崎空港に着陸体勢に入ったジェット旅客機が上空を通過する度に見上げるしげあんちゃんがいました。それでも家族は、たまたま空を見上げているだけだと思い、大きな音が聞こえるとは思っていなかったようです。

それから月日が過ぎたある時、しげあんちゃんは溝に足を突っ込み右膝の直ぐ上の大腿骨を骨折します。整形外科を受診しましたが、その時の治療法についてどのような話し合いがあったかは分かりません。入院はせずにギプス固定の治療になったようです。母親の判断だったのでしょうか、結果として骨はつながりましたが右膝の関節が固まり右膝を曲げることが出来なくなりました。更に長年の力仕事の後遺症でしょうか、左肩の炎症で腕が上がりません。そのような状況で農作業も以前のようにはできず外出も少なくなりました。

そして平成7年7月6日、日高医院に往診の依頼があり63歳になっていた茂雄さんに出会いました。お父さんは17年前に心不全で亡くなり、86歳になるお母さんと長女そして長女の夫の4人で生活しておられました。長女夫婦は日中仕事で家にはいません。元気なお母さんであるスナヲさんが毎日を切り盛りしておりました。スナヲさんと茂雄さんはしっかり母と子の関係を築いており、茂雄さんは反抗することもなくスナヲさんの指示通りに動いていました。しかし、スナヲさんの指示は言葉ではなく、指で方向を示したり、顔の表情や腕の動かし方で次に何をするかを伝えたりしていました。茂雄さんが間違うとスナヲさんが右足で床を「ドン」と鳴らし修正していました。スパルタに近い厳しい教育ママのような印象でした。

スナヲさんに「どうしてそんなに元気なんですか?」と訊くと、「私は茂雄が年とって死ぬまで生きとかんにゃいかん。そのためには、元気でおらんにゃいかんとです」と自分の人生全てをかけて茂雄さんを守る強い母親の言葉が返ってきたのでした。