お知らせ

命の引き継ぎ

2012年12月17日

私たちは、病気と付き合っているのではない。その人の人生と付き合っているのだ。そして、その人の家族と付き合っているのだ。

55年前の若い父と母そして幼い兄と姉、そして孫たちにはるばる会いにきた祖父母たちの写真が数年前に見つかった。
昭和28年秋の写真だ。僕はまだ生まれていない。
父37才、母31才、長男5才、姉3才、次男2才、祖父75才、祖母72才。

いつの時代でも、どこでも見られる孫たちに会いに来る祖父母の光景である。
そしてその翌年昭和29年9月、僕は生まれた。

昭和33年、一戸建ての診療所を開設。
祖父母、親戚が祝いに駆けつけソテツの前で記念写真を撮った。
祖父母を中心に親戚が集まった。

僕が小学校5年の頃、祖母は亡くなった。
祖母が亡くなる数日前、母と見舞いに行った。
母は、僕に祖母の手を握らせ「ばあちゃん、頑張ってと言いなさい」と泣きながら言う。
状況が分からないまま「ばあちゃん、頑張って」と小さな声で言った。
その数年後、祖父は自宅で息を引き取った。
祖父の葬式の時、父は親族代表として祖父の人生の足跡をしっかりと語ったのを覚えている。

祖父がどのような環境で生まれ、苦労して家庭を持ち8人の娘達を育て、
多くの人々に支えられて今の私たちがいますという内容を話していた。夏の暑い日だった。

それから20年が経ち、医師となり、結婚して子供ができ、孫を親に会わせた。
平成7年父の跡を継ぎ、父と一緒に人を診る仕事を始めた。
父の往診について回った地域を、父と一緒に往診した。
そして、父と母を中心にみんなが集まった。

8年後、父の病状が悪化して在宅で父を看取った。
そしてその2年後、認知症で息子のことも分からなくなった母を施設で看取った。
祖父母が亡くなる時に、子供だった自分を枕元に連れて行ってくれた時の父と母の表情や空気を覚えている。そして、自分が親として自分の子供達に同じことをしていることに気付いた。
自然と流れる涙に、親の命が僕の心の中に引継がれるのを知った。
そして自分の生き方、自分が進めている医療が父と母の影響を色濃く受けていることを知った。
自分の子供のしつけや教育について悩む時、父や母も同じように悩んだのだろうと思うようになった。

医療人としての自分が高齢者の看取りをしている。
そして、その自分が他の医療機関や施設に親の看取りの支援を受けた。
看る側と看てもらう側の両面を体験した。

わたしたち医療人そして介護者は、多くの苦労や悲しみや感動を経験して生きてきた
残り少ない人生と、その家族としてこれから生きていく人生のつなぎ目で仕事をしている。
去る命、始まる命の双方を見つめながら仕事をしている。

私たちは、いずれ双方の命を経験する。

「素晴らしい人生でした、ありがとうございました」といわれる仕事をしていきたい。