お知らせ

思い出療法(回想法)

2014年11月17日

外来診療、在宅医療、施設での診察で以前から回想法(個人的には、思い出療法と言ってきました)を部分的に使っています。長崎の病院で勤務していた時に、複数の認知症、寝たきりの患者さんから原爆の話を聴き出したことがあります。

多くの方がほとんどしゃべらない方でしたが、原爆のことになるとNHKの記録映像の内容と一致する内容が複数確認できました。

「空がきれいで空襲警報もなく運動場で空を見上げたら、高いところを飛ぶ飛行機から何かが落ちて来た。ゆっくり降りて来るのでみんなで見上げていたら、先生が早く教室に入れと大声で言っていた・・・。
私は走って教室に入ったが、多くの友達はそのまま見上げていた。教室の中に入った時に周りが一瞬真っ白に輝きその後教室ごと吹き飛ばされた。
気が付いたら建物の下敷きになっていた。頑張って這い出してみたら、体中にガラスがたくさん刺さっていた。何の治療もせず夜通し山道を歩いて避難しました・・・・」  

「家族を探しに爆心地に入ったら、助けてくれと足を掴まれて、怖くて、怖くて、足で払いのけて逃げました」 

「結婚した翌日に夫は戦争に行きました。その後親戚の農家で畑仕事をしていたら、山の向こうにオレンジ色のかぼちゃみたいな雲がどんどん大きくなって上に登って行きました」

家族も知らなかった内容もあり、メモを見せると家族も涙を流しながら「母にこんな過去があったのか・・・」と新たに母親を見つめ直す場面があり、回想法は本人だけの問題ではなく、家族にとっても大きな影響を与えることなのだと認識したことがありました。
 
平成7年に宮崎に帰って来て父の地域医療を引き継ぎました。最初の頃はそんなに忙しくなかったため、認知症の進んだ在宅の患者さんを毎週訪問し診察後満州の話を1時間ほど聞いたことがありました。

ほとんどしゃべらずにコタツに座ったままの人でしたが、毎回話を聴く度に目が輝きだして自分の過去を何度も繰り返し話し始めました。

「15歳で親戚と一緒に中国に渡り、上海、重慶などいろんなところを旅した。
満州で電話交換手の仕事をしていた時に馬賊(ばぞく)に襲われて同僚が殺された」「露天掘りの石炭の中に宝石の原石を見つけたことがある」など。

その内に背筋も伸び若い頃の自分に戻ったかのように両手を広げて、「満州から引き揚げる時に、貨車の上から見た大地に沈む夕陽がこんなに大きくて、とてもきれいだった」と話してくれました。
 
いろんな病気をして、体力も低下し、気力もなく、今のことを直ぐに忘れるようになったお年寄りにとって、自分の過去は大きな財産であり、自分の生き様の証だと思います。
患者さんではなく一人の先輩を見る時、その方の祖父母、両親、兄弟、子供たち、当時の地域の人々、時代の変化やその頃の自然に囲まれて生きた記憶が、古くなった心のタンスの引き出しにしっかりと収まっています。

久し振りにその引き出しが開くと、当時の空気や匂い、緊張感、活力、思いが蘇り、しわの奥に若い頃の本人が重なって見えるような感覚になります。まるでタイタニックの始まりの場面で101才の主人公が語り始めるような光景に接することがあります。
 
患者さんを診る時に、その方が母親に抱かれている頃からこれまでを想像しながら接するようにしています。

「今だけを見ないで!私にはこんなドラマがあったんですよ」 
「いろんなことがあったけど、誰にも言えません、言わない方がいいです」など、 私の事を知って欲しい、いやほっといてくれと 言葉で上手く表現できない患者さんの気持ちを瞳の中に感じることがあります。 
 
私たち医療人は病気と付き合っているのではなく、その方の人生とお付き合いしている。そして、その方の家族とお付き合いをしていると考えています。